「語る言葉」 03−09−28
ルカ10:1〜16
<全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。>
この伝道命令が、主イエスの地上での最後の言葉でした。その言葉を受け、
教会もそこにつながる信仰者たちも進んできました。
今日の場面で、主は伝道のために送り出す者に、語るべき二つの言葉を
与えてくださいました。<平和があるように>と<神の国は近づいた>です。
<平和があるように>は、ユダヤでは通常の挨拶の言葉でもありました。
しかし、それを単なる挨拶ではなく、大切な言葉として届けるようにとおっしゃいます。
そこで言われる「平和」は、何よりも「神さまとの平和」です。神さまとの良い関係であり、
深い信頼の関係であり、本当に安心できる関係です。もろく崩れやすい束の間の
ものであれば、それは真の平和の関係ではありませんし、力づくで押さえつけられて
いる関係も、真の平和とはいえません。そのようなものではない、神さまとの真に
平和な関係があるように、と言いなさいとおっしゃるのです。それは、主がそのような
関係を生み出してくださるからです。人は、神さまに背き、神さまから離れる罪を犯す
ことによって、神さまとの平和の関係を破ってしまいました。しかし、主は、ご自身が
十字架にかかられることで、その破れを回復されます。挨拶の言葉を、ご自身の
十字架によって本当のこととして実現していかれる主が、「平和があるように」と語って
良いとおっしゃいます。
神さまに正しく治めていただき、導いていただく<神の国>が近づいたことを
言いなさいとおっしゃいます。これも、主によって実現することです。そこでこそ、
人は真に人として健やかに生きることが出来ます。そのことを、迎え入れてくれない
町でも語るのです。迎え入れない町への厳しい言葉がありますが、これは送り出された
者が語る言葉ではなく、主ご自身が語ることです。この厳しさを知るゆえに、私たちは、
主が命がけで実現してくださった幸いを語り続けることに集中するのです。